2014年07月29日
『楽園のカンヴァス』
心頭も融けるような真夏の熱に
身体も熱風の中を泳ぐような風呂状態の毎日です。
それでもここ数日は湿度だけでなく気温も三度ほど下がり
一瞬吹いた爽やかな風に一息。
でも明日からはまた風呂の中に戻るようですね。

そんな中でエアコンの利いた部屋で読んでいるのが
原田マハ著の『楽園のカンヴァス』です。
まだ読了しておりませんが芸術をテーマにした内容で
19世紀後半~20世紀はじめのフランスの画家
「アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー」の
描いた絵に纏わるキュレーターたちの物語です。
アンリ・ルソーの絵は私が中学一年のときに
草薙の学校に売りに来た複製(格安)の中にありました
「眠るジプシー女」がとても印象的で
いまだにルソーと言えば「眠るジプシー女」と
私には単純に刷り込まれているのですが、
この絵を描いた頃も含めてルソーは生前とても貧しく暮らしていて
カンヴァスや絵の具を買うお金も乏しく
税関に二十数年勤めた年金で細々と絵を描いていたそうです。
当時は人の使用したカンヴァスを格安で貧乏画家に売る店もあり
他人の絵の上に絵の具を厚く地塗りしてから自分が描くことも普通でした。

「眠るジプシー女」 1897年
そんな彼につけられた「区分」は素朴派、
印象派などの新しいイメージとは一線を引かれていて
その稚拙とまで言われた「日曜画家的」な筆のタッチは
当初は多くの画家たちの笑いも誘ったなどとあります。
しかし現代で言う「ヘタウマ」な絵などのレベルではなく
テクニック云々よりもルソー自身の発想の素晴らしさに
ピカソなどの一部の画家たちは注目していたそうです。
そう、『すべての発想には限界はない』。
彼は兵役で国外に出た可能性以外では
ほとんどフランスから出ませんでしたが、
行ったこともない南国をモチーフにした絵画を詳細に
その精神的な「距離感」を
自身の発想力をもって溢れる想像力を筆に乗せて描き上げました。
※この「距離感」については後日、別記いたします。
おっと、もうひとつ。ルソーが絵を描く「力」となった
魅力的なポーランド女性、ヤドヴィガの存在も忘れるわけにはいきません。
さて、幻想であるとか夢想とか言われます詩的なルソーの絵。
単に写実的でリアルに描く画家はいつの時代でも面白くなく、
その時代に無い描き方や発想・創造性により描かれる個性を
どれだけ「理解」できるのか出来ないのか・・という、
まず「描く側からの視点」で同業から絵画は評価され
そこに芸術を理解する視点のひとつのセンサがあることは
現代では承知の事実ですが、
当時はどうやらそうではない流れもあって
芸術そのものは純粋だけれど、人に対してはフェアではなく、
貧困のうちに生涯を閉じる芸術家も多かったようです。
一方で、夭折した画家たちが描いた絵が
「もう描かれることはない」という希少性から
価値が釣り上がる事態も多いという現実もリアルにあります・・。
さて、今夜もまた寝室で『楽園のカンヴァス』の頁をめくろうかと・・・。

「夢」 1910年
ふむ、少し眠くなってまいりました・・、・・。
えっと、余談ですが、ほんの余談ですが、
ここ数年、呑み屋さんやBARなどで
声高に話す中に三浦半島の相模湾の海に面した一定のエリア、
「葉山」の話題がとても増えているように思えます。
まあ、関係したお仕事のグループであるとか
そういうケースもあるのでしょうが、
あの電車も通っておらず、交通手段はクルマ・バスかバイク・自転車、
あるいは徒歩・・。
そして夏の海岸通りは上下ともに大渋滞の葉山。
そんな「特別に閉鎖」されたガラパゴス的な海辺の街に、
みな興味を持ち、中にはリタイヤした後に
住みたいとかいう人がとても増えています。
作家の喜多嶋隆氏はもうライフワークの如く
「葉山」をその小説の舞台に登場させ(ご自身の住まいの関係もアリ)、
横文字関係者や芸能関係者も実際に隠れ住んでいたりしています。
近くには魚市場があり、業者でなくても一匹から魚介が手に入り
海に面し南に開けた街の背後には緑豊かな小山せまり、
少し上ると棚田もありホタルもいます。
昔の文豪や政治家たちの別荘もオーナーが変わってもまだ幾つか残っていて
葉山の御用邸が「治安と品(ひん)」を押し上げている・・・。
なんか、眠さにかまけて一方的に書きなぐってしまいましたが、
そんな葉山は他所にない素朴な魅力と大いなる個性がある街だと思います。

さてさて、そんな御用邸の近く、
渚から小径を80メートルほど入った松並木の家々の点在する中に
『Julien Rousseau(ジュリアン・ルソー)』という
フランス人のオーナーが経営するBARがあり、
日中は小さなカフェとしても足を休められる・・・。
夜は交通手段がほとんど都会から無いため
地元に隠れ住む人たちが夜な夜な、
暮れて行く空と、波の音を聞きながら
葉山牛を小さく角に切ったマリネなどでビールを空けている。
そんな名物「一色のマリネ」はニンニクとソルトのバランスがとても良い。
きっとお肉は旭屋さんあたりから仕入れたのでしょう。
ここはラ・マレード茶屋などと違ってビーサンや乾いた水着でもOKだから
犬の散歩に疲れた人を含めて
程よい喧騒の中で各々が美味そうにお酒を呑んでいます。
椰子の枯れ葉を上から垂らし
ほど暗いカウンターの真ん中にはこのBARを建てた時に残した大木があり、
オープンテラスに続く内壁にはアンリ・ルソーの複製画が何枚も掛かっている。
御用邸が近いからあまり大きな音で流さない曲もオールド・ジャズから
ロリンズやペギー・リー、そして最近の大人な曲まで選んで流れていて
自家製ピクルスをひとつ摘まみながら
喉に流すエール・ビアも喉越し・冷え具合ともに文句はまったくありません。
カウンターの端では70代くらいの白髪の外人が
ひとり往年の恋でも思い出しながら静かに呑んでいるし、
日に焼けた若い男性たちはテラスのテーブルで
今日見た素晴らしいブロンドのビキニの話に興じている。
ほら、こんどはアール・クルーのLiving Inside Your Love に曲変わりました。
この曲にも思い入れがあります♪♪♪
ツマミとしての甘い塩玉葱に乗せたオイルサーディーンが嬉しいし、
天狗のビーフ・ジャーキーもヴァーボン・ソーダにとても合う。
あらっ、オリーブの実をひとつ床に落としちゃったよ。
おかしいなぁ、膝をぶつけたのに痛くないや・・。
形だけの入り口のドアには「Le sable de sandales n'est pas exige.」
「(ビーサンの砂は入るべからず)」と書いてあるし
派手な嬌声も、ここでのヴォリュームは霞町近くのBARの半分ほど。
たまに皇宮警察が見回りに通るけれど、
ここの警察官は一般人にも「おはようございます。」と
声を掛け合うのはいつものこと。
そうか、もうビーチではクラゲ(行灯)が出て刺された子供がいたらしい。

海から吹くオンショアの風が
松の木の枝を気持ち良さそうに揺らしている。
夏の陽射しに火照った肌を化粧水で冷やす金髪のカールの頬も
何杯目かのロング・カクテルで染まりだした頃、
私は夏の宵の長い夢から「ふっ」と目を覚まして
また枕元に開いたままになった『楽園のカンヴァス』に手を伸ばしながら
「おっと、葉山のBARは夢だったのか・・」と・・・。笑
そんな、夏夜の丘の上には夢の中で
海風と聞き違えてしまった本牧から吹き上がってくる風が
いま音を立てながら吹いているのです。

ひっく
Posted by ひげ at 21:38│Comments(0)
│湘南
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