2014年06月26日

「浅間そば」







「浅間そば」







以前に、このブログで幾度か


私の蕎麦好きについて触れたことがあったかと思いますが、


お蕎麦の画像をアップしたことはありませんでしたね。





もう十五年くらい、ほぼ毎朝、


京浜急行の平和島駅のガート下にあります


「浅間(あさま)そば」という


立ち食いのお店で蕎麦を手繰っています。


http://tabelog.com/tokyo/A1315/A131502/13059280/







「浅間そば」










このお店は立ち食いでは珍しい「きしめん」も扱っていて


きしめん専用の汁も別に用意されているお店です。


私は春菊蕎麦に生たまごを落として寒い季節は温かい蕎麦、


これからの季節は冷やしで食べています。






この近くには、もう閉店してしまった「大衆酒蔵 初音」や


立ち食いが数軒、呑み屋さんも幾つかあったりして、


平和島競艇が近いこともありまして


競艇の賭けで摩(す)った人たちがトボトボと歩いて帰る


所謂、「オケラ街道」と云われている界隈です。


摩った人たちには申し訳けありませんが、


なんとも昭和な、懐かしい響きではありませんか・・。








「大衆酒蔵 初音」には、一度入りたいと思っていましたが


そう思っているだけで年月が過ぎてしまい


残念にも閉店してしまいましたが、


暖簾越しに眺めた店内は、それは年期が入った懐かしいものでした。


そう、横須賀の「銀次」や、日の出町の「栄屋」のような雰囲気でしたね。




○横須賀「銀次」

http://fujihige11.hama1.jp/e1003641.html



○日の出町「栄屋」

http://fujihige11.hama1.jp/d2012-08.html





こういうお店を維持してゆくのは、とても大変な苦労があるのでしょうが、


私たちは、そういう場末のお店の雰囲気を「触媒」として


自分の子供の頃や、親の元気だった昭和の時代を心の中で垣間見ます。


その時代は、けっして豊かな時代ではありませんでしたが、


いまよりも将来に対して、何かしらの希望や可能性がまだ多かった時代です。


いや、言い換えれば文化・文明の急速な変化に伴なう


「夢」が現在よりも多かった時代だと思います。






人は齢を重ねるごとに


その少なくなってゆく、自分の残る年月と時間に


ちょっとした絶望を感じたり


あきらめや、捉えどころのない無常を頭に過ぎらせたりしますが、


はたして、それだけを心に持っているだけで良いのかな・・。


私は何か別に、齢を重ねたら重ねたなりの


いや、重ねたからこそ見えるモノがあるのではないかと


最近、よく考えるのです。





若い頃から、駆け足で走り抜けて来て


飛び越えてきたその歩幅の間にあった


あの頃の自分では気づかなかった「人の気持ちの機微」。


或いは、若い頃の脂ぎった食事に慣れた自分の舌の、


その味覚が加齢とともに変化して


薄味の出汁の素晴らしさ・美味さを見つけたときの驚き。


微風で揺れる枝先の葉々に感じる季節の移ろい。


ひとり布団で手足を伸ばして小さく味わう「ささやかな幸せ」。


それらは、「所有物」として人と比べるのではなく、


目に見えないけれど、胸の奥に確実に存在し、


ふとした瞬間に、胸の奥で共振して広がる気持ちと充実感。


それが例え手元で手繰る一杯の蕎麦であったとしても同様だと思います。





私にはなかなか、うまく表現することはできませんが、


そんな、形の無いものへ心がシフトして来る・・・。


なんか、とりとめもなく散文化した文章ですが、


そんなことをいま、私は考えるようになってきているのです。








ここ三日ほど、仕事しているビルでロケが続いています。

そう、幾つかのフロアはロケ用のレンタル・スペースなんです。

今日は新しいドラマのため竹之内豊が来ていた。





Posted by ひげ at 22:57│Comments(0)
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