2013年12月23日

「永遠の0」














その日、朝陽射す雲海を望む空は美しかった。














クリスマスのメロディが流れる先週末、



その休日に一本の映画を見ました。



題名は「永遠の0」、作家の百田尚樹が2006年に書いて



ミリオンヒットとなった、あの小説が映画化されたものです。






この物語は今から約七十年前、



資源の無い日本の国が



戦争という大きな世界の渦の中で



当時、アジア圏で唯一



西洋の列強国と戦い、敗れた当時の物語です。







最初に書き記しておきます。



この物語は決して戦争を美化したり、



いろいろな物語を模倣したものではありません。



戦争という、国家間の過酷な流れの中で



戦いの矢面に立つ男が



「ひとりの人間」として妻や子を思い、



戦場という自分の置かれている立場の限られた範囲の中で



大きな時代のうねりに翻弄されながら、



自己の思いを信じて生き抜くことの難しさを



ひとつのテーマとして書き記している物語です。



それは限りなく史実に近いフィクションでありますが、



あの揺れ動いた時代の「ひとりのリアルな調べ」です。






その時代の大きな流れの中に身を置いた人たちの経験を考えますと



「同じ思い」を持つ人がいたとしても、



同様の視点を活字にしようとした人がいたとしても、



それは模倣や真似ではありません。



むしろ人の思いが重なる深い部分が大きいからこそ、



多くの既観感や共感が心に生まれるのであり



惹いてはベストセラーも生まれるのだと思います。






あの時代を生きてゆく道筋には



物語を構成するプロットも筋書きもありません。



そんなものが合い入れない時代だったと思います。



あの素直に生きることに不自由な時代に、



ごく限られた自分の心と時間の中で、



精一杯に燃焼し、限りなく心を触れ合わせた・・・。



そのことは誰も、誰にも触れられない



大切な「その人だけの思い」だからこそ、



あの時代を経験した人たちは



今もずっと口を閉ざしているのだと思います。







その個人的な思いからくる「純粋な輝き」は、



国家レベルで見れば、まるで一瞬の儚い線香花火のようです。



だから、この作品が遺作となった名優、



夏八木勲の最後のシーンでのセリフを咀嚼すれば、



あの時代を生きた人たちはあと十年もすれば皆居なくなる。



でもいま残されて生きているあの時代を経験した人たちは



各々が、それぞれの同じように辛く苦しく



いや、その中でこそ美しい瞬間を生きたことを、



誰にも語らずに自分の腹に呑みこんで



今を静かに生きているんだ・・というような意味にとれました。







そう、戦争という過酷な体験だけでなく、



おそらくは、戦後もいろいろな苦労を味わいながら



家族にも、誰にも告げることなく生きているひとたちは多い。



そして去りつつあるのです。







そして言葉にして語られないから、



或いは、形に表されてはいないから、



私たちはその過去の事柄が無かったと思うのではなく、



むしろ「語られないその意味」が



あまりにも大切なものが消えていった体験として存在していて



それを理解するひとつの機会として



「永遠の0」という物語があるのだと私は思うのです。

















■映画「永遠の0」

http://www.eienno-zero.jp/index.html


■「永遠の0」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE0









 
 
 





 
 
 
 
 








 
 
 
  

Posted by ひげ at 22:38Comments(0)映画