2013年08月06日

ジブリ『風立ちぬ』


















スタジオジブリ、宮崎駿監督の『風立ちぬ』を先日観てきました。



今回の映画は『千と千尋の神隠し』(2001)や、『ハウルの動く城』(2004)、

『もののけ姫』などの宮崎駿の世界とはまた一つ違う

実在の人物を元にしたストーリーで、

日本の航空機開発の創世記に設計者として活躍した人物「堀越二郎」と、

同じ時期に文壇で活躍した「堀辰雄」の純文学作品を底辺として

今までにない宮崎駿の世界として纏め上げた「風立ちぬ」という映画。



堀辰雄の同名小説を映画タイトルにしながら、

登場する薄倖なヒロイン名は同作家の別小説名である

「菜穂子」という名で出てまいります。



当時のまだ近代化前の日本を背景として、

関東大震災や大戦という大変な時代の中で、

主人公の「堀越二郎」と「菜穂子」の短くも儚い純愛が、

飛行機開発の苦労と平行して進行してゆく・・・。



それぞれの元ネタを知っている世代には理解しやすいかもしれませんが、

まったく知らない世代が観ると、

またひとつ、受け取り方が変わってくるかもしれません。

勿論、映画とはそういうものなのですが・・・。



面白いなと思ったのは、

小説などを若くして読んだときに

その時点で著者意図を理解できなくても、

長い時間を隔てて再度読んでみると

自分自身の成長やスキルを積み重ねることによって、

最初にわからなかったことが分かって来る。

理解できなかったことが理解できるようになる・・・。

「風立ちぬ」は、そういう広いメッセージを持った映画でもあると思いました。



同時に考えたのは、

今の時代は「すぐに結果」が求められたり

「瞬時に理解」することを必要とされることが多い時代で、

その場で理解し辛いモノは共感を得にくい側面を持ち合わせている。



もう少し書いてしまえば、

情報の受け手が「一瞬の喉越し」で「全てを理解」しようとする風潮。

そんな危険性に気づいていない人が

昨今は多いということにも繋がります。



自分が如何に気持ち良いか、自分がどれだけ楽しいか。

自分の舌に美味しく満足を得られるのか。

自分に優越感を得られるのか。

自分に今、どれだけの「利」が受け取れるのか。



或いはまた、

自分が今、どれだけ辛いのか。

自分がいま、どれだけ悩みを抱えているのか・・。

自分が今、八方塞りで孤立しているのか。

自分がいま、耐えられないくらい孤独なのか。



「そういうことだけ」を基準にして、

今この瞬間に全てを評価しようとすることの危うさが、

現代ではとても多いように思うのです。



勿論、上記のプラス思考は心を穏やかに幸せを噛み締める上でも

適度に必要なことであり、

また、マイナス志向も大なり小なり誰しもが通る道筋でもあるとは思いますが、

「それだけでは無い」という気持ちを忘れないことによって、

謙虚さや所作・振る舞いが

またひとつ変わってくるように思うのです。

そして、それをコツコツと積み上げることによって、

知らず知らずのうちに、

自身への評価も良い方向へと積み重なって来る・・・。



私には、そんなメタファーが、

「生きねば」というキャッチコピーを踏み台にして、

この映画には隠れているように思えます。



そして、一度読んだ小説も、

一回、観た映画も、

そういう視点での「リピート」という自身での咀嚼を行なうことによって、

そのつど味わいは深まっていくのではないかと・・・。



 
 










 
 








ポール・ヴァレリー「海辺の墓地」の一節 『Le vent se lève, il faut tenter de vivre』





 
 
 
 
  


Posted by ひげ at 20:30Comments(0)映画