2008年01月29日

「あの時、あの頃の景色」について

子供の頃から「夕暮れどき」は好きでした。遊び疲れて弟と帰る家路、見上げる空は深い藍色に暮れてゆき、気がつけば家々の古びた木の塀も見分けがつかないくらいに漆黒に沈んでいて、痩せたタールの木電柱にとまる笠をまとった裸電球が僕たちに橙色の柔らかい灯かりを投げかけていたあの頃・・・。そのホッとする灯かりをひとつひとつ辿るように急いだ家路。夕暮れは風も静まり、家々からの素朴で美味しそうな夕食の匂いに足取りも速くなった・・・・・。

あれから自身の月日は膨大に過ぎてしまっても、一方ではひと気の消えた何気ない近所の一画にはあの時間が変わらずに流れていのように思います・・・。そう、変わらずに心に染み入ってくる夕暮れの淡い時間が人知れず控え目に息づいているのです。それは観客をとりたてて盛り上げるでもなく、ましてや拍手を求めるでもなく、只々いつものように、あの頃のように変わらずに・・・、気付く者だけに語りかけてくれる「子供の頃の記憶」、その胸襟にそっと触れてくるような囁きなのかもしれません。

変わらないものにこそ、辿り帰る記憶が包括されているのかもしれない・・・。いまはもう会う事のできないあの人、あの家、あの部屋、あの路・・・あの友、そんな共鳴を感じることのできた「あの瞬間、あの懐かしい時」。

きっと人は、そんな何かをキッカケとして、こんな夕暮れの景色に「あの頃」を振り返り、帰っていくのかもしれません。そう、いまは遠くなってしまったあの懐かしい、触れれば消えてしまうような淡く震えるような頃に・・・・・。

画像は全て「からっぽの木」のあるります清水ヶ丘公園の幾つかの「いつもの夕暮れ」でございます。撮影は2004年7月2日・・・でも日付はあまり関係ありませんね。大事なことは日付などではなくて、辿り返ろうという「そのキッカケと気持」なのですから・・・。


















  

Posted by ひげ at 23:31Comments(4)からっぽの木

2008年01月29日

陽射しを求めて

その日は夏の陽射しの降り注ぐ日、暑い夏の日のことでした。
「からっぽの木」の下には、どこかのブラスな人達が愉しげに集っておりました(2006年7月23日)。「からっぽの木」はそんな風景が何故か「絵」になります。持ち寄る思いをこの場所は優しく包んでくれるかのようです。

春すらまだ少し距離があるここ数日、冷え込む深夜にどうぞみなさま風邪などにお気を付けてくださいませ。




  

Posted by ひげ at 00:11Comments(0)からっぽの木